ノンバンク事業への政府の関与とその限界

2009年に早稲田大学消費者金融サービス研究所が主催した公開シンポジウムの中で、福井教授(政策研究大学院大学)が基調講演を行いました。

一部抜粋します(出典:http://www.waseda.jp/prj-ircfs/pdf/symposium012.pdf

政府の関与は果たして適正だったか?

私からは、貸金業規制や金利規制等についての理論的考察と、それらの政策論としての今後の展望についてお話しさせていただく。 まず、政府の関与が民間活動に対して、どういう場合に、どの程度許容されるものか整理しておきたい。基本的に、国家機能というものは“必要悪”である。国家権力が力を持ちすぎると、国民の自由や権利が束縛されることは古今東西の歴史も証明している。そこで先進諸国が定めたものが憲法の人権規定、すなわち国家が人民に対してやってはいけない“べからず集”である。

これらの規定は、同時に法と経済学の観点からも説明がつくものでなければならない。あらゆる法律や政策には、こうした観点からの検証が不可欠である。経済学や法と経済学の知見によると、国家が民間に対して介入してもよいとされるのは、“資源配分の効率性”
すなわち社会を貧しくしないという観点から、①公共財、②外部不経済、③取引費用、④情報の非対称、⑤不完全競争の5つの領域だけである。さらに別の観点から、憲法25条の生存権の保障に象徴される所得再分配というものもあるが、これら以外の理由で政府が民間活動に関与する理由は理論的にまったく存在しない。

ところがこの貸金業規制については、残念ながらこうした原理的考察、実証的考察が十分になされているとはいえない。金利規制や総量規制などが、これらにあてはまるかどうかを検証すると、どれにもあてはまりにくいというのが多くの研究者の共通認識である。

たとえば「公共財」は、同時消費が可能で他者の受益を排除できない財だが、フリーライダーが生じるため、政府が適切に介入しないと有益なサービスの供給がなされなくなるおそれがある。防衛や外交はその典型である。銀行が預金をもとにその何倍もの貸出を可能にしているのは、そこに信用創造機能が存在するからであり、社会の富を拡大するシステムと解釈すれば金融のシステム自体は公共財といえる。だがノンバンクに対して金利の上限や貸出における年収の倍率を決めることは、公共財ではなく私的取引への介入に過ぎない。

「外部性」はどうか。高金利や総量規制の枠を超えた貸し借りは、必ずしも他人に利益や不利益を与えるわけではない。最近でこそ減少してはいるが、市場には依然多くの金融業者が存在し、多くの借り手がいるという点では「不完全競争」でもなく、政府が競争政策という形で関与するべき合理的理由もない。 一方「情報の非対称」はあり得る話かもしれない。借り手が金融商品に関して、あるいは貸し手が借り手の信用リスクについて十分な情報を持たないと、借り過ぎ・貸し過ぎが起きたり、逆に貸出拒否が起きたりする。保険市場などにも同様の問題があるが、こうした情報の非対称性を放置すると市場縮小の懸念があるという意味では、政府が介入して情報共有を進めさせるべきであろう。あるいは、情報の非対称に起因する問題発生に備えて保険や補償の制度を整備させることも政策セオリーの通りだが、それが金利規制や総量規制に行き着くというロジックはない。